12月28日に放送された金スマで、今年限りで芸能界を引退する『タッキー』こと滝沢秀明さんの生い立ちが赤裸々に公開されました。

本人も幼少期を語るのは初めてだそうで、恥ずかしそうにする一面もありました。

そこで、一時代を築いたスターとは想像もつかないほどの壮絶な極貧生活を送ってきたのだといいます。

私はこの金スマを見ながら必死にメモを取りましたので、放送されたタッキーのルーツをそのまま文字に起こします。

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子供時代は極貧生活だった

 

両親の離婚により苦しい生活に

物心ついたころには両親が離婚していたため、滝沢さんには父親の記憶がほとんどないそうです。上には兄と姉がいるそうですが、滝沢家の貧乏生活は両親の離婚から始まりました。

母はパートで働き詰めになっており、「母親らしいことをしてもらったことはあまり記憶にない」と話しています。

そんな滝沢家では、滝沢さんの兄と姉が家事を率先してやってくれていたそうです。

食べるのに苦しむ

比較的豊かな国である日本でも貧富の差は確かにあって、芸能人でも極貧エピソードがある人は多々います。そんな中でも滝沢さんの貧困エピソードは聞いていると切なくなってくるものばかりでした。

まず食べ物。庶民的な「ごはん・味噌汁・おかず」の生活すらできず、小麦粉と卵を使った「ホットケーキのようなもの」をよく食べていたといます。それすら食べられない時もあり、そのときは水とお菓子でしのいでいたそうです。

唯一の贅沢な食事は、母親がたまに作ってくれた餃子だそうで、この餃子も豚肉を買うお金がなかったから中身はシーチキンでした。小さかった滝沢さんは「これ餃子じゃないじゃん!」と思いながら食べていたそうです。

服や文房具を買うお金がない

服を買うお金がなかった滝沢は小学生時代、真冬でも「タンクトップに短パン」で学校に通っていたといいます。

兄もタンクトップに短パンだったので、校長が朝礼で「この子たちのように元気なりなさい!」と言い、滝沢と兄がさらし者にされた経験を持つそうです。

私も小学生時代真冬に短パンの友達がいましたが、さすがに上はタンクトップ1枚ではありませんでした。。

さらに文房具を買うお金もないので、教室に落ちている消しゴムや鉛筆をあたかも自分が落としたかのように拾って使っていたそうです。

クリスマスが一番つらい

そんな貧困生活を送っていた滝沢少年ですが、一番つらかったのはクリスマスだといいます。滝沢さんが通っていた小学校ではクリスマスプレゼントをもらったことを作文にして発表する授業がありましたが、貧しくてプレゼントなんてもらえない滝沢は「大きなバイクを買ってもらいました!バイクといってもプラモデルですが」と嘘の作文を読んでいました。

これが非常に辛かったそうですが、当時の滝沢さんはクラスメイトになめられることやイジメられることが嫌だったため、「好きでこうしている」ということを常にアピールしていたそうです。(真冬にタンクトップ&短パンとか)

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自立して家族を支えようと決意した中学生時代

大好きなプロレスに挑戦してみるも…

滝沢さんは当時を振り返って、「自分に一番足りなかったものは“父親の存在”だ」と語っていました。小さい頃から「父親って何だろう」と考えていましたが、中学に入って「自分がお母さんを助けなきゃ」「こんな生活から抜け出したい」という想いが強くなったそうです。

母親を、家族を支えるために自立することを決意した滝沢さんは最初プロレスの世界に興味を持ちます。

しかし、当時中学1年生の滝沢さんは身長143㎝で体重33キロの細くて小さい子だったので、「お前じゃプロレスは無理だ」と言われてしまいすぐに諦めたそうです。

ジャニーズのオーディションに自ら応募

当時滝沢さんの姉がKinki Kidsに夢中になっていたことから、ジャニーズのオーディションに応募しました。滝沢さん自身はアイドルには全く興味はなく「なりたい」とも思っていなかったそうですが、家族を支えるためにとにかくビッグになって稼ぐしかなかったんでしょうね。

書類選考は見事通過し、オーディション会場に招待されたそうですが、ジャニーズにそもそも興味なかった滝沢さんは「オーディション会場で何をするのか」も知らなかったそうです。

しかしこの時、滝沢さんの人生を大きく変えた“ある人”に出会ったそうです。

ジャニー喜多川との出会い

滝沢さんが訪れたオーディション会場には「ボロボロの服でパッと見警備員の人」が子どもたちにハンバーガーを配っていたそうです。

実はその人こそがジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんだったのですが、当時ジャニーズの社長が誰なのかすら知らなかった滝沢さんには「ただのおじさん」にしか見えなかったそうです。

そのオーディションではダンスと自己アピールの審査があったそうですが、滝沢さん的にはどちらも全くダメで「落ちた」と思っていたそうなのですが、後日なんとジャニー喜多川さんから電話がかかってきたそうです。

社長 プルルルルル「誰?」
滝沢 「え、誰ってあなたこそ誰ですか?」

ジャニーさんは自分から電話しておいて、出た滝沢に対して一言目に「誰?」と問いかけるという…
なんかジョークっぽいですけどね(笑)

なんやかんやジャニーさんだと分かりわなわなする滝沢さんに対し、合格発表の結果ではなく「Kinki Kidsコンサートのバックダンサーの出演オファー」をしてきたそうです。

これが、当時13歳の滝沢さんのジャニーズ人生の始まりでした。

貧しい生活に不満をもらすこともあったそうですが、芸能界入りした時「これから先マイナスのことは言わないよ」と宣言した言葉に、母は「一生忘れることが出来ない」と語りました。

ジャニーズjr時代からタキツバは特別な存在

下積みの修行と言われているジャニーズJr時代から既に“特別な存在”だったそうです。

山下智久さん曰く、「タッキーは特別なことが普通。特別なことに違和感を抱かせないところがもう特別」だそうです。

ジャニーさんからも気に入られ「タッキー、うちに遊びに来なよ」と度々食事に誘われることもありました。滝沢さん一人だけではなかったそうですが、ファミレスとかで夢を語ったりごはんを食べたりしていたそうです。

滝沢さんは入所して1年後、14歳にしてジャニーさんの横でオーディションの面接官を任され、さらにドラマで中居正広さんと共演するなどジュニアではありえない特別な扱いを受けていました。

そして17歳になった滝沢さんはジャニーズJrをまとめるリーダーになりました。当時は妬み嫉妬が凄かったそうです。。

ジャニー喜多川は“父親的な存在”

ジュニアのときはスケジュールを教えてもらえなかったので新聞で初めてドラマ出演を知るなど、今ではあり得ないようなスケジューリングだったそうで、多忙な日々を送っていました。

17歳にして大ヒットドラマ「魔女の条件」で松下奈緒さんと共演し、ジャニーズに興味ない人にまで滝沢さんの存在を知らしめる非常に大きなインパクトを残しました。

さらにジャニーズJr総勢のバラエティ番組のMCを務めたり、ジャニーズJrのリーダーとして先輩後輩関係なく組織を統率するなど非常に責任が重い仕事を任されていました。

他のメンバーが喧嘩したり問題を起こせば、全て滝沢さんの責任。辛すぎてジャニーズを辞めることも本気で考えていたそうです。

そんな滝沢さんはさすがに心身共にギリギリで、それなのに誰にも相談できなかったことからイライラの矛先をジャニー社長に向けてしまっていました。

しかしジャニー社長は激昂することなく、滝沢さんの言葉も態度もひたすら受け止め、優しく接してくれたそうです。

滝沢さんはジャニー社長に関して、「他の人にはない安心感ががジャニーさんにはある。小さい時に知るべきことを一から教えてくれて『親父ってのはこういう存在なのかな?』と感じた。」とコメントしています。

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芸能界を引退する理由が明らかに!

裏方として若手のプロデュースをしたい

相方の今井翼さんが二度目の「メニエール病」を発症して無期限の活動停止になり、タッキー&ツバサが解散になったのは今年の9月です。ピンになった滝沢さんは、ある決断をしました。

それが「芸能界を引退して完全に裏方に回る」ことです。

表舞台を退き、裏方として若手をプロデュースすること。

決して「嫌になったから」ではないと語ります。
「大好きなジャニーズをこの先どうつなげていくかをやりたい。」「裏方で、僕らが持っている良いジャニーズを伝える」これが、芸能界引退の理由でした。

ジャニー社長からは引き留められたそうです。まだ36歳の滝沢さんなら表をやりながら裏も出来るんじゃないか?と…。

しかし滝沢さんは「表に出ながら裏をやるのは絶対にダメだ」と考え、「やっぱり両方は出来ない。中途半端な足掛けでは出来ない。だから辞めさせてほしい」とジャニー社長に伝えました。

ジャニー社長は、初めに滝沢さんから芸能界を引退したいと申し出があった時、その理由を聞いて引き留めつつも「驚きとともに嬉しさで涙がこぼれそうだった」と明かしました。

ジャニーさんへの“親孝行”

滝沢さんには、裏方として後輩の活躍を支えたいという気持ちの根底には“もう一つの想い”があるそうです。

それはジャニー社長への恩返しです。

滝沢さんがジュニア時代にジャニー社長に反抗した時、「俺が10与えたことを1でもいいから返してみろ。それは挨拶でもいい。」とジャニー社長から言われたそうで、これをずっと覚えていました。

今回の金スマで中居さんから「自分的にどれくらい返せた?」と聞かれると、「まだ1つも返せていない」と答えました。
ジャニーズの仲間たちからは「小さなジャニーさん」とあだ名がつけられるほどなので、貢献していないはずがないのですが、滝沢さん本人にとってはまだまだ「ジャニーさんへの恩返し」には程遠いようなんです。

父親のいない滝沢さんにとって、父親的な存在は間違いなくジャニー社長でした。だからこの“恩返し”とは“親孝行”なのでしょうね。

中居正広の言葉が「深すぎる」

今のタキツバは『、』だ。『。』じゃない

滝沢さんが引退宣言したとき、一番最初に滝沢さんに電話をしたのが中居さんだといいます。
そこで中居さんから滝沢さんにある言葉を投げかけたそうで、それが非常に重たかったと滝沢さんは語ります。

その中居さんから言われたこととは、「今のタキツバは『、』だ。『。』じゃない」だそうです。

これは今のタキツバが『、』という中途半端な状態で終わっていることを表し、SMAPを完全に終わらせられなかった中居さんから「タキツバだけには後悔してほしくない」という想いで送られた言葉だそうです。

「引退試合が分からない選手にはなってくれるな」と…。深すぎますよね。

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最後に!金スマに出演した目的とは?

「中途半端に終わらすな」と中居さんから助言された滝沢さんは、中居さんがMCを務める金スマの場を借りて、貧しかった時代から自分の全てを語った上で引退の理由を包み隠さず話しました。

そして滝沢さんは最後に「さよならという言葉は使いたくない。ファンの人にかける言葉としたら『行ってきます』です」と語りました。

滝沢さんはジャニーズの中ではSMAPのバックダンサーを務めた最後の人であり、滝沢さんよりも後輩のジャニーズはSMAPのバックダンサー経験がないそうです。

そんな想い入れの深いお互いの共演で、滝沢さんの全てが語られるという何とも深い番組に、SNSでは「感動した」「グッときた」という声が多く上がりました。

「タッキー&翼」も「滝沢秀明」もこの先テレビで見れなくなり、一つの時代が終わった感じがして寂しいですが、滝沢さんがプロデュースする若手のジャニーズの活躍が非常に楽しみです。

【了】

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