最近、女優の石原さとみさんとの結婚が間近だと報道された起業家(IT社長)の前田裕二さんに注目が集まっています。(一方、破局間近だという情報も出回っていますが。。)

前田裕二さんは、パソコンやスマートフォンからライブを配信・視聴できるストリーミングサービス『SHOWROOM』の設立をし、代表取締役社長を務めています。

革新的なエンターテインメントを世に生み出し、IT企業の社長になり、石原さとみさんと付き合うという最高の人生を送っていると思われがちですが、成功とは裏腹に前田さんは壮絶な幼少期を過ごしてきました。

前田さんの書籍である『人生の勝算』には、想像を絶する生い立ちが書かれており、「泣ける」という声や「モチベーション湧いてきた!」などの生きる活力をもらったという感想がたくさん上がりました。

今回は、そんな前田さんの壮絶な生い立ちについて紹介していきます!

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前田裕二の経歴

プロフィール

名前:前田裕二(まえだゆうじ)

出身:東京都(幼少期は葛飾区で過ごしていた)

生年月日:1987年6月23日

学歴

中学校までは不明ですが、高校は都立深川高校を卒業されたみたいです。前田さんが通っていた頃の深川高校の偏差値は不明ですが、現在は57という非常に優秀な高校です。部活あバスケットボール部だったそうです。

大学は早稲田大学政治経済学部を卒業しています。早稲田の政治経済学部は偏差値70という超ハイレベルな学部ですが、前田さんはここを卒業しています。しかも給付型奨学金(通称:返さなくても良い奨学金)をもらっているため、学部での成績も非常に良かったことが分かります。

大学時代はバンド活動とアルバイト、学業にエネルギーを注ぎ、アルバイトは少なめに見積もって100種類以上のアルバイトを経験していたといいます。

職歴

早稲田大学政治経済学部を卒業後、UBS証券株式会社という外資系投資銀行の営業マンとしてバリバリ仕事をこなします。
日本で1年間がむしゃらに働き、ある投資家のランキングでトップに立った前田さんは2年目にニューヨークにある本社へ転勤しました。
アメリカでも『Yujiはクレイジーだ!』と言われるほど努力し、あまりにもダントツでトップの成績をたたき出すので同じ部署の同僚が全員辞めてしまったと言います。

その後、起業を決意した前田さんは日本へ帰国しますが、当時社長だった南場智子さんのDeNAに転職し、起業するための”修行”をしました。

DeNAの新規事業で立ち上げた自身のライブストリーミングサービス『SHOWROOM』を独立させ、SHOWROOM株式会社として運営しています。

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前田裕二の壮絶な生い立ち

8歳の頃に両親が他界する

父親は物心つく前に亡くなられていたみたいですが、大好きだった母親が8歳の頃に亡くなり、両親ともに他界してしまいました。
大好きだった母親の他界は前田さんの心に深い傷をつけ、以降「どんなに辛いことがあっても母親が亡くなったに比べれば大したことない」と思うようになったと言います。

両親を亡くした前田さんは10歳上の兄と共に親戚に引き取られますが、小4の時に「自分で食べていける力を身に付けよう!」と考えるようになり、兄と二人暮らしになりました。
そして生きるために親戚のお兄ちゃんからもらったギターで路上ライブするようになりました。

当時住んでいた江戸川区や足立区では足を止めて聴いてくれる人がいなかったため、わずかな交通費を握りしめて白金まで行き、富裕層に向けて路上ライブしていたと言います。
小学生とは思えない思考力と試行錯誤の繰り返しにより、「コンテンツは“質”ではなく“インタラクション”が重要である」という本質を暴き出し、それが現在のSHOWROOM創設の原点となっています。

睡眠時間は1日2~3時間程度だった!?

2つのバイト・部活・バンド活動を両立していた高校生時代

中学生時代ではバンドを組み、当時流行していた「Hi-STANDARD」のカバー曲を演奏していたそうです。前田さんはエレキギターを担当していました。

また、高校生時代は想像を絶するハードな生活を送っていたようです。

前田さんは都立深川高校(現在の偏差値は57)という都内で優秀な高校に通い、バスケットボール部に所属していました。
ここまでであれば「頭の良いごく普通の高校生」ですが、前田さんは更にアルバイトを2つ掛け持ちしていたと言います。
夕方の部活が終わってからファミレスでバイトし、2~3時間寝てから早朝に新聞配達の仕事をし、それが終わるとバスケ部の朝練に参加するという恐ろしいハードスケジュールです。極めつけは中学から組んでいたバンドでドラムを担当するようになり、ライブハウスでの活動もしていたそうです。
後に偏差値70の早稲田大学政治経済学部に進学するため、勉強も相当していたと考えられます。

部活と2つのバイト、さらにバンド活動によりまとまった時間はほとんど確保できないはずですが、隙間時間の活用や凄まじいほどの集中力で授業に参加し学力をつけていったのでしょう。

前田さんは当時を振り返り、「当時は本当に体力があった。今じゃあんな生活はできない」と語ります。

大学時代はライブ漬けで経験したアルバイトは100種類以上

大学時代はビジュアル系のバンドを組み、ライブ漬けの日々を過ごしていたようです。インディーズレーベルから契約のオファーがあり、全国ツアーの計画も経つほど順調だったといいます。
しかしあるとき、ライブハウスの楽屋で「俺、もう全部やめようかな…」と絶望するベテランのバンドマンを見て、「音楽業界を努力が報われる世界にしたい」と思い、ミュージシャンとしてではなくビジネスとして“構造”を変える決意をしました。

学業では、大学時代の前半は給付型奨学金(通称:返さなくても良い奨学金)を得るために必死に勉強し、後半では社会に出て役に立つような勉強をしていたと言います。

ゼミでは金融のクレジット経済の基礎について勉強していたそうです。前田さんが就職活動していたのはリーマンショックが起きた2008年頃で、その大本となるプロダクトを作っているのが投資銀行の人たちだということに興味を持ち勉強し、後にUBS証券株式会社に入社します。

また、前田さんは少なく見積もっても100種類のアルバイトをしていたそうです。特に印象に残っているアルバイトはパチンコ台の中の絵柄のラミネートを貼り替える仕事と、英会話教室の先生だそうです。
もともと海外で働きたい気持ちが大きく、英語の知識を身に付けるために英会話教室の資格試験専門の講師として働き、休憩の時に控室で外国人講師と会話することで英語のスキルを高めていったと言います。

新卒で入社したUBS証券株式会社時代

大学を卒業し、社会人になっても毎日2~3時間睡眠のハードスケジュールは変わりません。どんなに夜遅くまで仕事しようとも朝4時半~5時の間に出社していたと言います。

また自転車通勤だったのですが、サドルが2回連続で盗まれた時に新しく買うのをやめ、サドルなしの自転車で通勤したところ立ち漕ぎしかできないため通勤時間が5分縮まり、新聞読める量が増えたという話は、DeNA会長の南場智子さんの前田さんを語るときの鉄板ネタになっています。

2年目にニューヨーク本社に転勤した時も同じき、2~3時間睡眠のハードスケジュールをこなします。他の社員が1日で終わらす仕事を午前中で終わらせ、夜になるとアメリカのマーケットは締まるが日本のマーケットは開くため日本株の市場をチェックするなど、他人の2倍仕事していたことになります。

ニューヨーク在住時の年棒は1億円には遠く及ばないと話しますが、トップの営業成績を残すだけではなく、あまりの突き抜けた成績を出すので同僚が一人ずつ辞め、最後には前田さんしかその部署に残らなかったそうです。

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SHOWROOM創設までの道のり

南場智子からのスカウトでDeNAに転職

当時DeNAの社長で現在会長の南場智子さんに起業するための修行の場として、DeNAにスカウトされたそうです。ニューヨーク在住時に起業を決意した動機は学生時代のバンド仲間が亡くなったことから、いつ終わるか分からない1度きりの人生だからこそ「世の中に代替不可能な価値をゼロから生み出す」と打ち立てました。

UBS証券時代に膨大な量の会社の株の値動きを見てきたため会社経営には自信があり、「自分は起業したいのになぜ転職…」と思ったそうです。

しかし南場さんから「前田くんが考えている起業プランなんて、今この瞬間に世界で100人は考えついている」“アイデア自体には価値はない”と指摘されました。その上で、大失敗して借金を抱えたり家族を持つ従業員を犠牲にしてしまうリスクをカバーできる胆力があるかどうかが会社経営においては重要だと説かれ、まずはDeNAで新規事業として立ち上げて修行するという選択をしました。

DeNAには前田さんと同い年で新規事業を立ち上げ50人の部下を持つ社員もいて、負けず嫌いの心に火が付いたと言います。

SHOWROOM独立までは茨の道だった

ライブストリーミングサービスのSHOWROOM以外にも考案した事業はたくさんあったそうですが、人生をかけて成し遂げようと思えたのはSHOWROOMだけだったと語ります。

連日会社に泊まり込みで「髪は給湯器で洗う」くらいの覚悟で仕事してたそうですが、初めはリリースしては多くの不具合に見舞われ、クレームに繋がることもあったそうです。
オフィスで仕事しているとデスクで寝落ちしてしまう為、朝4時半まで営業していたスタバで仕事していました(起こしてもらえるから)。

また、地下アイドルにドブ板営業をかけて地道に顧客を増やしていくなど、愚直な営業で着実に信頼を積み重ねていきました。

秋元康さんをロサンゼルスまで追いかけてようやく食事を共にし、AKB48のメンバーにSHOWROOMを使ってもらうことに成功して2015年8月にSHOWROOM株式会社として独立を果たしました。

最後に

幼いころに両親を失うといった逆境をプラスに考え、常人の何倍もの密度で人生を歩んできた前田さんは現在31歳で有名な起業家になりました。

IT企業の社長と聞くと、生まれつきの天才だとか環境に恵まれていただとか、親のコネだとか思われがちですが、前田さんは圧倒的努力によりどん底から這い上がった経営者です。前田さんを前にして言い訳なんて一切できないですよね。

前田さんはある動画で「挫折やどん底を味わったことない“普通”の人はどのように頑張ればいいのですか?」と聞かれたときに「“普通”に生きてしまったことの穴を埋めるために頑張れば良い」と語っていました。

挫折や環境は、言い訳にするのではなく原動力に変えるという教訓が、前田さんの人生から読み取れますね。

【了】

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