髭男・藤原聡は島根銀行の元営業!音楽プロのオファーを蹴って就職!?

2019年最もブレイクしたバンドと言えるOfficial髭男dism

紅白歌合戦2019にも出場が決まりメディアに取り上げる機会がものすごく増えました。

ネット記事に上がる際のタイトルに「元銀行員・藤原聡」と書かれていますが、そうなんです!ボーカルの藤原聡さんは売れる前まで銀行員として働きながら音楽活動をしていたのです。

そこで今回は藤原聡さんの銀行員の話と、Official髭男dismの結成秘話、そして銀行退職後のインディーズ時代の苦労について書いていこうと思います!

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藤原聡は「島根銀行」の元営業マン

藤原聡島根銀行

ボーカルの藤原聡さんは2014年3月に国立島根大学の法文学部法経学科を卒業後、新卒で地元・島根銀行に就職しました。

大正4年から続く歴史ある銀行で、大卒での初任給は205,000円ほど。地方ではそこそこ高い方かもしれませんね。

島根銀行に入社した理由は「休みが安定していて土日に音楽活動ができるから」とのこと。確かに土日休みで平日も17:15が定時なのでライフワークバランスが取りやすそうです。

ここで働く人は国立大学などの高学歴の人が多く、他県の大学卒業生も多く就職します

藤原聡さんは渉外業務という、いわば法人・個人向けの営業マンとして2年ほど勤めていました。(2016年2月退職)

成績はかなり優秀だった?

国立大卒の優秀な人材が集まる島根銀行で、藤原聡さんは若手ながら優秀な成績を収めていたそうです。

背席がトップだったこともあったそうですが、「上司に恵まれていたから」と要因を謙虚に述べました。

真面目で愚直な性格だからこそ、営業でも音楽でも結果が出せたのかもしれませんね!

また、2016年2月に退職される際もたくさんの同僚に送り出され、上司からは応援の手紙も貰ったのだとか。人柄も良く人望があった証拠ですね!

2年で退職した理由は、インディーズデビューを果たして音楽活動が軌道に乗ってきたためだそうです。

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Official髭男dism結成は大学時代

Official髭男dism

本当は東京の大学に通いたかったという藤原聡さん。しかし大学時代の奇跡的な出会いにより今のOfficial髭男dismがあるといっても過言ではありません。

ちなみに、藤原聡さんは大学時代2つのバンドを掛け持ちしていました。

『ぼすとん茶の湯会』と掛け持ち

島根大学に在学中、実はOfficial髭男dismを結成する前から組んでいた『ぼすとん茶の湯会』というバンドがあります。この時藤原聡さんはボーカルではなくギターだったようです。

ぼすとん茶の湯会ボストン茶の湯会

『ボストン茶の湯会』は全国カレッジロックフェスティバルという大きなイベントでグランプリに選ばれるほどの実力を持つバンドでした。

しかし、同じ大学だったヒゲダンメンバーの楢﨑誠(ならさきまこと)さんと松浦匡希(まつうらくにき)さんに出会い、後に違う大学だけど仲が良かった小笹大輔(おざさだいすけ)さんが加わり、大学3年生の時にOfficial髭男dismが結成されます。そのため、大学生活の最後1年半は2つのバンドを掛け持ちしていたことになります。

そして『ボストン茶の湯会』は大学卒業をもって解散となり、Official髭男dism一本で活動を続けます。

音楽プロからのオファーを蹴って銀行へ!?

銀行時代の藤原聡

実は、大学4年生の時に音楽の芸能プロダクションからオファーがあったそうですが、このとき既に島根銀行への内定が決まっていました。

悩んだ結果、音楽で食べていくという「挑戦」よりも銀行員で稼ぎながら活動を続けるという「安定」を取りました。後にインタビューで「内定もらう前にオファーがあったらそっち選んでた」と話しています。

銀行という安定した就職先が決まっていたら、いくら魅力的なオファーがあってもなかなか路線変更できない気持ちは分かります。

その時の葛藤について、藤原聡さんは後にこう語っていました。

もし音楽で飯を食っていくという未来があるなら、それにかけてみたいという思いは当然ありました。でも、働きながらでもできることをやり尽くしてからではないと、上京する理由にはならないと思って。土日は休みだし、働きながらでも活動はできるので、そのペースでやりたいと思った。

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藤原聡・インディーズ時代の苦労

インディーズ時代の藤原聡

そして冒頭に戻り、銀行マンとバンドマンを掛け持ちする生活が始まります。

平日の仕事終わりはバンド活動に時間を費やし、土日はライブ活動のため東京や県外に飛び回ることも暑中ありました。

銀行の営業の仕事も忙しかったため、心身ともに休まる時間は少なかったはず。あまりにも多忙で消耗が激しかったため胃腸炎を患ったこともあるそう。

身体がもう悲鳴を上げていましたが、大好きなバンド活動を辞めるわけにはいかない。そうやって頑張るうちに2015年(入社2年目)にインディーズデビューし、次第にバンド活動が軌道に乗るようになりました。

そして「これなら音楽一本でやっていける!」と確信した2016年2月に島根銀行を退職しました。銀行マン時代はわずか2年ですが、その2年はとても大変で長く感じたと思います。

それから3年後の2018年についにメジャーデビュー。インディーズ時代に出した『ラブとピースは君の中』というアルバムのPVがYouTubeに上がっています。

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歌詞に「銀行員っぽい」フレーズが?

銀行マンの藤原聡

藤原聡さんが元銀行マンだったと有名になり始めたころから、Official髭男dismのある曲の歌詞に「銀行員ならでは」のフレーズがあると言われています。

それは『最後の恋煩い』という曲の

生前贈与の冊子の表紙を飾るような年頃になっても全てを語らいあう2人でいたい」

というフレーズです。

「生前贈与の冊子」とは、生涯を終える前に生きてる人間が生きてる人間へ遺産を相続(贈与)した時にかかる税金への対策についての基礎知識が書かれた冊子ですが、こんなの普通の人が考え付くはずがありません。笑

ツイッターでは「銀行員ならではの歌詞」というコメントが多く寄せられました。

今まで藤原聡さんは自分からあまり「元銀行マン」であることを話したりはしませんでしたが、最近ではもう「元銀行マン」であることをプッシュしていっているそうです。w

真面目で愚直で、人望の厚い藤原聡さんの活躍がこれからも楽しみですね!